読書会『愛の花園』読書会(共催)

日時
2023年4月4日

成果

SOASのリチャード・ウィリアムズ博士を迎え、17世紀デカンで初期ウルドゥー語(ダカニー・ウルドゥー語)を用いて書かれた官能冒険物語『愛の花園』を扱った。その結果として、初期のウルドゥー語(ダカニー語)という難解な言語で書かれた高度な詩文体テキストの文法・修辞的な問題を解決し、解読に成功した。

講演会Francesca Orsini博士講演会

日時
2023年3月7日

Francesca Orsini(ロンドン大学)を招き、“Studying, Strolling, Overhearing -Poetry in multilingual early modern North India”と題し講演いただいた。

成果

北インドの17世紀以降の多言語が混在する環境とそれが文学の媒体としてどのように流布したかについて、写本の画像と校訂本からのオリジナルテキストを通じて丁寧に説明された。ヒンディー語、サンスクリット、ペルシヤ語、ウルドゥー語が取捨選択される場合と、混交する場合の具体的な事例について最新の研究成果が示された。10名の参加があった。

研究会第2回HINDOWS文学研究会「戦争と文学」

日時
2023年3月24日

山根聡「ヒンドゥーとムスリムの対立と言語 ―19世紀末ラーホールの刊行物を通してみえるもの―」
長崎広子「ラーマはなぜラーヴァナと戦ったのか―トゥルシーダース著『ラームチャリットマーナス』における戦の大義―」

成果

オンラインで開催された第2回HINDOWS文学研究会では、「文学と戦争」をテーマにHINDOWSメンバーの長崎広子と山根聡が発表を担当した。HINDOWSのメンバー合計6名の参加があった。
長崎広子は、ヒンディー語版ラーマーヤナであるトゥルシーダース著『ラームチャリットマーナス』(16世紀)におけるラーマとラーヴァナとの戦いの大義に焦点を当て、トゥルシーダースが新たに加えた要素のために戦いの理由が曖昧になり、解釈の幅が生まれていることを指摘した。山根聡はイギリス植民地下のインドでヒンドゥー教徒とムスリムの対立が鮮明化する頃に、ヒンドゥー教徒によって出版された広報誌『牝牛の嘆き』を取り上げ、その内容が予想されるようにムスリムを敵対的に描くものではなく、ウルドゥーの詩の形式を使い、ムスリムの文章を引用するなど、ムスリムに歩み寄り、戦いを回避しようとするものであったことを明らかにした。

研究会第1回HINDOWS文学研究会「戦争と文学」

日時
2023年2月24日

宮本隆史「「第一次独立戦争の闘士」の形成:ムハンマド・ジャアファル・ターネーサリーによるテクストの「誤読」の歴史」
小野田風子「スワヒリ語の戦意高揚詩―モンバサの詩人ムヤカ・ビン・ハジ―」

成果

オンラインで開催された第1回HINDOWS文学研究会では、「文学と戦争」をテーマにHINDOWSメンバーの宮本隆史と小野田風子が発表を担当した。HINDOWSのメンバー合計8名の参加があった。宮本隆史の発表では、ムハンマド・ジャアファル・ターネーサリーのウルドゥー語による著作の受容が時代を経て変遷してきたという点について考察された。ターネーサリーの著作物は明確に親英的な記述を含むにも関わらず、近年彼を1857年の「独立戦争」時の「闘士」として位置付けようとする風潮が高まっていることが報告された。小野田風子は18世紀末から19世紀初頭に現ケニア海岸部の都市モンバサに生きた詩人ムヤカ・ビン・ハジの戦争詩について発表した。ムヤカの戦争詩はオマーンとの戦争を前に、モンバサの人々を鼓舞する戦意高揚詩である一方、支配者が頻繁に交代する土地ゆえの冷静さや客観的な視点も読み取れることが指摘された。

研究会第2回ヒンディー文学研究会

日時
2023年2月15、16日

高橋明(大阪大学)を講師に迎え、मोहन राकेश 著 /आखिरी चट्टान तकの購読を行った。16日には研究発表も行った。発表者とタイトルは以下の通り。
小川彩花「戯曲आधे//अधूरेの劇作法の特徴」
里坊詩音「英語楽曲のヒンディー語吹き替え」
新井隆成「ヤシュパール/Dada Comrade /における自己実現」
長崎広子「カターサリット・サーガラから現代ヒンディー文学への昇華―クリシュナ・バルデーオ・ヴァイド著「菩薩の女房」―」
高橋明「現代ヒンディー文学の受容の可能性について」

成果

ヒンディー文学研究者である高橋明・大阪大学名誉教授を講師に迎え、ヒンディー文学作品を原典から講読し作品解釈やその背景について11名の参加者で討論を行った。取り上げた作品は、ヒンディー語作家モーハン・ラーケーシュ(1925-1972)の旅行記Aakhiri chattan tak(1953)である。この作品は、作家ラーケーシュが南インドを旅して出会った人々について冷静な観察と豊かな感性で描いた作品であり、ヒンディー文学では数少ない旅行記としても注目される。英領インドから独立間もない当時のインドの様子を知ることのできる貴重な史資料としての価値も認められる。なお、初版本から1961年、1968年と版を重ねるごとに、著者は大幅な増補改訂を行っており、ナイー・カハーニー文学運動を代表する作家として大成していく成長過程がそこに伺える。また、16日には5名の登壇者によるヒンディー文学の研究発表が行われ、質疑応答を行った。

イベント「インドの弦楽器サロードと打楽器タブラによる即興演奏」(共催)

日時
2023年1月29日

成果

拠点メンバー(北田信)が講演と演奏を行った。 インド古典音楽は、インド詩学・演劇学の定める情緒(ラサ)に関する理論および季節感に裏打ちされたものであることを、実演を通じて明らかにした。

講演会「インドの詩と音楽」

日時
2023年1月22日

成果

拠点メンバー(北田信)が講演と演奏を行った。それを通じて、インドの古典詩は、古典音楽によって歌われることを前提としたもので、さらに視覚芸術(絵画・舞踊)とも密接に結びついていることを明らかにした。

講演会「バローチスターンのブラーフイー文学」

日時
2023年1月17日

Liaquat Ali(University of Balochistan, 東京大学外国人研究員)を講師に迎え、ブラーフイー語とブラーフイー文学について講演いただいた。

成果

2023年1月17日(火)に Liaquat Ali 博士(Associate Professor, Department of Brahui, University of Balochistan,
東京大学大学院人文社会系研究科外国人研究員)を講師に迎えて、大阪大学人文学研究科もみじラウンジで研究会「バローチスターンのブラーフイー文学」を開催した。参加者は25名。
ブラーフイー語話者に特有の習俗の紹介からはじまり、ドラヴィダ語族最北の言語であるブラーフイー語とクルフ語やタミル語など他のドラヴィダ語族言語の語彙との類似性を実際の語彙の比較によって示された。また、ブラーフイー文学の古典文学の特徴と現代文学の主要なジャンルとその内容が紹介された。
ブラーフイー語の話されるパキスタン、イラン、アフガニスタンの国境地帯は調査が困難な地域のため、言語や文学について多くは知られていないが、自身がブラーフイー語話者である講師のLiaquat Ali博士によって、日本で初めて体系的な紹介が行われた。

研究会環インド洋文学研究会(兼:アフリカ文学研究会)「アフリカの言語芸術におけるインド」

日時
2022年12月24日

粟飯原文子「アブドゥルラザク・グルナの作品とインド洋」
小野田風子「スワヒリ語小説におけるインドおよびインド人表象」
塩田勝彦「西アフリカ、ハウサの大衆文学/音楽にみるインドの影響」
村田はるせ「西アフリカの水の精霊マミ・ワタの表象とインドの神々」

成果

東アフリカの文学と西アフリカの文学および文化にみられるインド文化からの影響について4名のアフリカ研究者が発表を行った。タンザニア、ザンジバル出身の英語作家グルナの小説には、様々なバックグラウンドから生じる複数の声や視点が並列で共存している一方で、同じザンジバル出身のスワヒリ語作家シャフィの小説では、インド人は時にステレオタイプ化されて描かれる。一方で作品内には、アフリカ人コミュニティとの分かちがたさやインド文化の影響も描きこまれ、ザンジバルの複雑な歴史や社会が反映されていた。西アフリカにもインドから影響を受けた文学、音楽、信仰がみられ、ハウサ語の大衆小説におけるインド映画の影響や、インドの神々のポスターの流通といった現象が報告された。しかし西アフリカは東アフリカと比べインドから地理的に遠く、インドとの直接的な関係は希薄である。そのため西アフリカにおいては、インドからの影響とは、インドの独特な文化、あるいは宗教に対する、一方的な興味や憧れとして理解できるものであった。

研究会南アジア研究センター・セミナー(共催)

日時       2023年1月19日
Ananya Jahanara Kabir先生(King’s College London)を迎え、‘Singing beyond the (South Asian) nation-state: Unspeakable Attachments and their Narrative Forms’と題し報告いただいた。

成果

If in Homi Bhabha’s succinct formulation, nation is tied to narration, who, asked Judith Butler and Gayatri Spivak in a memorable dialogue, sings the nation-state? What both sets of approaches share is a reliance on the nation-state as aspirational framework. Dialoguing with these now-standard paradigms, my talk explores how narrative space is made for what I call unspeakable attachments: unspeakable because they run against the grain of a certain ‘standard model’ of postcolonial collective belonging in South Asia. Family histories of mobility constantly interrupt the teleologies, cartographies, and pedagogies through which the State coaxes our hearts and minds to love the nation. How are standard protocols of the novel form rewritten to accommodate the conflicting range of emotions produced thereby? In formulating the question and proposing some answers, I turn to my work on Partition’s affective impact on intellectuals as postcolonial nation-builders, on embodied joy and performative memory as forms of resistance, as well as my new investigations into ‘Creole Indias’. In the process, I also draw some lines of continuity between my past and present research interests.
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